一宮市 整体院/大善整体院は、整体・スポーツ整体・広~い酸素ルームで地域NO1!寝違い・ぎっくり腰等は2~3回の施術で随分楽になる!とご好評頂いております。肩こり腰痛等、各種慢性症状もお任せ下さい。スポーツ整体の実績としては、地区大会優勝・入賞者はもちろん!全国大会での優勝・入賞者、多数輩出!スポーツ名門校進学者、多数輩出!定期利用者の輝かしい成績が当院の実力です。 ※無断転写・無断引用禁止

愛知県一宮市のスポーツ整体/一宮市 整体/一宮市 酸素ルーム/肩こり・腰痛・小顔矯正・気象病は、一宮で愛され31年の大善整体院にお任せ下さい ※無断転写・無断引用禁止

大善先生のあゆみ

■ 院長 祖父江 大善
    
ソブエ  ヒロヨシ
星座 乙女座 血液型 A型 兄弟姉妹 中間子の長男 愛車 HONDA・CR-V(ホントダニー・Chukyo Return Victory)好きなケーキ HARBSミルクレープ 好きなお菓子 ROYCE’ポテトチップチョコオリジナル、GATEAU FESTA HARADAグーテ·デ·ロワ·ホワイトチョコとプレミアムとソレイユ 好きな自動車メーカー HONDA、内装はNISSAN 好きな服 ユニフォーム・ジャージ 好きなパンツ リーバイス501XX 好きなアウター ノースフェイス 好きなスニーカー NIKE 好きなスポーツシューズ asics、みんなが履くからMIZUNO 特技 たった一人でも中京の応援がでっかい声でできる・ある程度試合展開が読める・スポーツ観戦に行って取材される・道を尋ねられる・写真撮って下さいとお願いされる・モンゴル草原の声を出せる・トランペットらしき音が出せる・馬の声らしきものが出せる・カラスの声が出せる・ミッキーの声らしきものが出せる・ドラえもんの声らしきものが出せる・ヨーデルらしきものが歌える・替え



- 大善ものがたり あゆみ -
大善ものがたり
小学校編

稲沢市立国分小学校
あれは私が小学5年生になる直前の、1年前に新任の教師としてやって来た国体陸上100m代表選手、何故か何時も緑のジャージ姿のイケメン先生に「大善は5年生、俺のクラスにしたる!」と宣言を受ける。実は、保育園から4年生まで女性の先生にしか受け持って頂いたことがなく、「男性の先生が本当に担任になってしまったら・・・」と不安の中、始業式の日を迎えた。ここから5・6年生の2年間を緑ジャージの先生にお世話になった。
私の心配をよそに始業式の教室で対面した緑ジャージは、とても楽しい先生で、みんなが一瞬で引き込まれてしまう魅力があり、アイディアマンの先生でした。
一、当時楽しみの一つだった給食の小っちゃいおかずは、忘れ物をしたりすると取り上げられ、頑張った子やジャンケン大会で勝った子のご褒美となる
一、授業中は、反対意見と問題が解けない人→グー、賛成の人→チョキ、意見のある人・問題が解ける人→パー、付け足しの意見のある人は→指1本、の手を上げるんだぞルール!(確かに黙っている子供たちの理解度が読み取りやすい)
一、20分放課はグランドでの実写版陣取り合戦(遊びだが、知力・体力が必要なかなりの真剣勝負)
一、クラス文庫は、みんなの読み古しマンガを持ち寄った漫画図書館
一、中庭に本格的な俵を組んで相撲場を作り、クラス番付表まで作って競い合った大相撲大会
一、日曜日には、グランドに穴をあけ、空き缶でカップまで埋め込み、本物のクラブとボールを使ってゴルフ大会(勿論、砂場はバンカーだ!)
一、日曜日の職員室では、それぞれが昼食にカップ麺持ち寄り、ジャンケンで勝ったやつから好きなカップ麺が選べれるジャンケン大会&仕事のお手伝いして御馳走になった、先生自腹のおごりアイス
一、夏休みの校庭で(学内行事のキャンプとは別に)カレーづくり&夜の校舎で肝試し大会(釣竿に白いシーツを引掛け、児童が来ると暗闇で幽霊の様にす~っと持ち上げる原始的だがめっちゃ怖いやつ)
一、「中学へ行った時の準備だ!」とか言って、6年の夏になったら男子は全員が坊主頭、そんでもって自らも坊主に・・・(でも、一人だけ坊主にならなかったお寺の息子)
一、今でも謎だが、先生は何故か何時も緑ジャージ。
自家用車通勤していた先生が、突然リュックを背負って自宅から学校まで走って通勤し出したり、子供ながらに「こんな勝手なことばっかりやって校長先生に叱られんのかなぁ~?」と心配したほどでした。今の時代では絶対ありえない破天荒なアイディア満載の緑ジャージイベントのお蔭で、とても楽しい小学校生活を送ることが出来ました。
私はこんな楽しい遊びの中から沢山の刺激を受け、体力を付けたり人間社会の基礎を学んだような気がします。
そしてカッコ良くて楽しい、みんなが大好きだった緑ジャージの背中を見て「僕も日本一の陸上100m選手になりたい!学校の先生になるぞ!」って夢描いたのでした。
勿論、あの時代でも先生はPTAにこっぴどく叱られていたみたいです。

(学校代表として、稲沢市陸上競技練習会60mH優勝・大会新。稲沢市ソフトボール大会出場(一回戦、3打席全て長打もニコニコチームに敗退)。稲沢市水泳競技大会出場。稲沢リトルリーグ発足元年・遠投の基準をクリア出来ずで入団テスト不合格。)
児童会 副会長・会長
毎日のがんばり度→120%


大善ものがたり 中学校編

稲沢市立明治中学校 バスケットボール部所属。
小学生の時夢描いた"日本一速い陸上100m選手"でしたが、私が通う中学校には陸上部がありませんでした。
純粋な子供だった私は、「先ず、陸上選手になる前に心と体をしっかり鍛えるぞぉー!」と、校内で一番活躍している最強運動部!顧問の先生が厳しく練習が"一番一つら~い"バスッケト部にあえて入部しました。
私のスポーツ人生の中で一番頑張った3年間となり、山?谷あり谷ありでしたが良い仲間や面倒見の良い先輩方にも恵まれ沢山の経験を積ませて頂きました!中でも「君たちが悪いことしたら・・・ビンタ・どビンタ・くそビンタだぞー!」と口癖の様に言っていたダミ声の恐~い先生に担任と部活の両方で大変にお世話に成り、強く成る為の極意や普段対戦することの無い強豪チームとの練習試合・東海地区名門高校チームとの合同練習等、バスケットを通してスポーツの基礎とスポーツの素晴らしさを沢山経験をさせて頂く事で、頑張る事の楽しさや面白さを学ばせてもらえました。
現在までにいろんな競技に携わって来しましたが、ピュアな気持ちで頑張っただけあって今でも大好きな競技の一つです。
(稲沢市大会優勝。中島地方大会準優勝。西尾張大会出場。)
中2の3月に重く辛い腰痛に悩まされ地元の整形外科・接骨院・鍼灸院などを転々とするも原因不明、最後の夏の大会2ヶ月前に身動きできない程悪化する。(皆さんも春先のケガは無理しないで!!)
名大病院の精密検査でやっと腰椎分離すべり症と診断され、手術が必要と宣告される!!当時は、普通の生活を送れるまでに半年は必要と言われ、中学生の私は相当ビビってかなり落ち込んだのは今でも忘れられない記憶です
恐怖心から大好きなチームのためとか言って理由を付け手術は回避しました。そんな時、一筋の光が!中京大学出身の体育科の先生に「おれも腰を痛めてて、困ったときはお世話になっとるトコが有るで大善もいってみるか!?」岐阜県に有る、中京大学体操部御用達のエサキ施療院さんをご紹介頂きました。当時はまだ珍しかったカイロプラクティックで、人生初めての施術を受けたのです。
それが、、、通常の生活ですら痛みと恐怖でままならない状況だったのに、たった1度目の施術で嘘のように痛みが消えてしまったのです!!
先生を拝みたくなるほど嬉しくて「こんな魔法みたいな治療があるんだ!」と感動!同時に大きな希望が湧いた瞬間でした!
勿論、1度の施術で治癒したわけではないですが、この施術を受けたことで劇的に痛みから解放されて試合に出場できるまでに回復しました。しかし大会は、それまでの痛みで充分な練習も積んでおらず、体力不足とチームメイトとのコンビネーションに不安を残したままの出場となりました。ブランクのある私をキャプテンナンバーで大会に挑ませてくれたチームと監督に、「絶対貢献しなきゃ!」と必死にプレーはしました、、、試合中盤まで強豪校相手に互角のシーソーゲーム!「さあっ!ここから突き放すぞっ!」て時… バスケならではの激しい接触プレーで足首靭帯損傷、、、あえなく途中退場することに成ってしまいました。そこからチームのリズムが崩れ、突き放されることになり、中学最後の大会は結局チームに大迷惑をかけただけで1回戦にてあえなく敗退しました。
後に、この経験こそが私自身の整体業に興味を持つきっかけ・ケアの大切さを知るきっかけとなったのです。

(学校代表として・・・中島地方陸上競技大会100m準優勝。西尾張地区陸上競技大会100m出場。稲沢市民ロードレース大会準優勝。中島地方水泳競技大会50m自由形出場。)
生徒会 会長
毎日のがんばり度→120%


大善ものがたり 高校編

中京高校 現、中京大中京高校 体育会 陸上競技部所属。
夢を追うのだから・・・、どうせやるなら陸上の一番強い学校に進学だ!と陸上部だけでも全国総合優勝3回・全国高校駅伝優勝3回・個人種目やリレーでは幾度も優勝・入賞者を出し、全国総合累計獲得得点1位、オリンピック選手4名を輩出ている(私が3年生の時は、野球部・バスケット部・ラグビー部以外の運動部は全て全国大会に出場しています)全国屈指のスポーツ名門校の中京高校へ入学を決めた。
長距離選手を目指していた訳ではないですが、入試直前の別府・大分毎日マラソン(史上最多出場者231名)で黒地にイエローで中京高校と刻まれたユニフォーム、長距離コーチの川口孝志郎が、大会史上3番目の好記録で見事に優勝した勇姿も、私が中京健児になる力強~い後押しとなりました。
私自身は短距離ブロックへの入部が希望でしたが、入学前に鬼顔で当時の在学生からも史上最強と恐れられていた先生、中京を幾度と全国の頂点へと導いていた監督モヘイに「短距離ブロックは全中活躍者が多数在籍するため君の実績では選手になるのが困難。スピードを活かした棒高跳びか、練習すれば伸びしろの高い長距離をやりなさい」と言われ、数々の一流選手を育てて来た名監督が言うなら・・・と悩みながらではありましたが、ビビったまま勧められるがままスピードが活かせる跳躍ブロック(棒高跳び)へ入部します。
大変お恥ずかしい話ですが、当時の私は ほんと~に威圧感の半端ないモヘイに「短距離やりたいです」と言い出す勇気が無かったのでした。
短距離選手としての道は儚く散り、兄の様に優しく指導下さった長尾棒高跳コーチに背を向け、たった3ヶ月で退部。一旦逃げ出してしまう事となります。
したい事が実現出来ずに「陸上なんてもう絶対やらん!」と帰宅部として毎日ふらふら悶々としていた私でしたが、先生方や沢山の友人らに「もう一度頑張ってみないか?」と根気よく声をかけてもらい、何とかやる気を取り戻しました。
2年の春より跳躍ブロック(この時は幅跳)にて本格的に部活復帰を果します。
10月、私の気持ちを察してくれていた跳躍コーチの節ちゃん、チャンスを与えて下さったこれまた恐がい顔で全く笑うことのない短距離ブロックのパンチ頭で髭面の見るからに怪しげな風貌の慎ちゃん(相当クセはありますが、おちゃめで愛らしい先生)の勧めで出場した、高校生活初の記録会に100mを11’3で走り、これを機に短距離ブロックへ移籍、直後に日本選手権4×100mR第一走者として国立競技場を駆け抜け、復帰約10ヶ月後のインターハイでは優勝候補にも名が上がるファイナリストとなる事も出来ました。
短距離選手として1年も経験を積めませんでしたが・・・皆さん、「好きこそ物の上手なれですよ!」
ちなみに当時の短距離指導方法は「たわけー!腕振れー!もも上げろー!」でした。

(名古屋支部選手権100m優勝。愛知県私学際200m3位。名南支部大会200m3位・大会新、 名南支部4×100mR優勝、 総合優勝。 県大会200m7位、 県大会4×100mR優勝 、県大会総合優勝。東海大会4×100mR準優勝、 東海大会総合優勝。インターハイ4×100mR6位。日本選手権4×100mR準々決勝進出。)
第61代 生徒会執行部 体育会 体育会長
毎日のがんばり度→80%


大善ものがたり 大学編

中京大学 体育学部 体育学科 現、スポーツ科学科 体育会 陸上競技部2年間所属。
私は子供の頃から、スタートダッシュの速さにはかなり自信がありましたが、大学初めてのスタート練習でピストルの音が鳴り響いた瞬間、私の体一つ前にいたインターハイ2位・当時の学生実力No1の青戸慎司の反応の速さと加速力に打ちのめされ、小学生の頃、緑ジャージの担任に憧れ「日本一早い男!学校の先生になるんだ!」の夢は、高校・大学と合わせてたった2年半で諦める事になりました。
(後に私が在学中の同級生、青戸慎司・笠原隆弘・後輩の鈴木久嗣がOlympianとなる。中京大短距離ブロック黄金期だ!)
悔やまれるのは・・・、せっかく入部を果した中京大学陸上部(当時も学生最高クラスの名門体育大学)そこには素晴らしい指導者や、先輩・同級生・後輩らスーパーアスリート達が、私の目の前で来る日も来る日も練習しているのに、その恵まれた環境で学ぼうともせず、しかも大してやりもしないのに子供の頃描いた夢をいとも簡単に諦めてしまったことです。
私は競技結果で目立つ事が出来ないことを間際らすため、私生活・学園生活で目立ちたいばっかの未熟な幼稚な学生になっていました。「あーバカ!バカ!バカ!」学生の本分を忘れたただのお調子者、相当な勘違い大バカ学生になっていたのです。そう、そうとうどうしようもないダメダメ学生ちゃんだったのです。
私の学生時代のことを無かったことになんか出来ませんが「どんな結果になろうと自分の目標・夢を最後まで諦めずやりぬき通せ!本気で戦え!しっかり学べ!人生、一生涯勉強だぞぉー」と昔の自分に言ってやりたいです!

(東海インカレ200m4位。東海学生秋季選手権4×100mR優勝。)中退
毎日のがんばり度→65%


大善ものがたり 開業編

大善整体院 正道空手。
1991年1月10日(一等賞の日)、ストレス社会の中、毎日頑張る地元の皆様に元気とやる気を取り戻して頂きたく、私が高校生の時、もやもやすると逃げ込んでいた大変お世話になった友人宅のあるご近所、一の宮がある一宮市の白旗、私の学生時代の逃避行地!白旗通に、旧 DAIZENカイロプラクティック・整体院を開業。(白旗通の由来は違いますが・・・私の第2の人生、昇るしかない白旗から地元で頑張る皆さんと共にスタートです)
2000年より、当時まだ誰も専門に始めなかった『学生スポーツ選手育成とスポーツ選手のケア』に特化した"スポーツ整体"を大善整体院として本格的に始める。
(私の車のナンバーは来院全ての選手が、それぞれが描く頂点を目指して頑張れることを祈願して「・・ ・1」No1にしています。俺様ではありません)
私は高校・大学時代、校訓が"真剣味"だったのに「自分のことなのに、なんでもっと真剣に頑張れなかったんだ」と大変後悔しています。(当時は自分なりにやっていたつもり)
だからこそ学生の皆さんには、幼いころに描いた夢や自分が夢中になってやれる事を最後までやり抜いて欲しいのです。
沢山の事を吸収出来る人生の礎となる若い時の夢だからこそ簡単に諦めてほしくないのです!
大切なのは今流行りのマニュアル理論だけではないですよ・・・。
競技スポーツの中だからこそ得ることのできる"人間力"をしっかり学んで頂き、最後の一瞬までやりきってもらいたい!その為に私が力になれる事があれば、無限の可能性を秘めて頑張っている若者の皆さんに、今日までの整体業を通して培った経験とアスリート達と共に歩んできたスポーツ整体で、全力でお役に立ちたいと思っています。
「昇れないカイダンなどない!」皆さんのカイダンを昇る勇志を私は応援したい!

(稲沢市民体育大会陸上競技 砲丸投げ優勝、4×100mR準優勝。当時40才)
現、中京大学附属中京高等学校 同窓会理事・陸上競技部 OB・OG会 顧問

毎日のがんばり度→85%(力み過ぎず、心に余裕を持って取り組みたい)




    スポーツの輝き 君の輝きに 感動したい!